2012年02月04日

【おとしがけ】

有名な茶室

タレ壁などの下端に見切り代わりに入れてある木材は意匠的に収まりが良いでしょう。

床の間や書院の窓においても部屋の仕上げと同一高さに張った天井は有りません。

この床の間などのタレ壁の下に渡した木材を【おとしがけ】といいます。

使用する木材で代表的な種は杉や桐、また竹などもある。

茶室においては、【おとしがけ】の渡し方や魅せ方にも決まりが有る。

見付け部分を柾でとり、奥行き(見込み)部分の中間くらいに皮目(ひもく)を残す。

これが、茶室の古来からの決まりごとのようだ。

床の間や書院の上部はあまり目が行きにくい。

しかし、注意して目を配るとあらゆる所に、茶の拘りや感性など理由が有ると言えます。

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2012年02月02日

【おしいた】

床の間、上段の間の元となったとされる三具足を飾る場所。

四脚の低い卓上に打敷をかけて、置いた板。

これが【おしいた】と言われる。

仏壇などで見かける敷物を打敷。

一般的には、年忌法要やお彼岸、祝い事といった場面で使われる格式高いものです。

また、三具足(みつぐそく)は仏壇などで見られる、ろうそくたて、花たて、線香たて、これらを指す。

【おしいた】が床と称されるようになったのは、室内意匠に組み込まれ造り付けになってからです。

奥行きも縮まり現在の床の間のスタイルに転じたとされています。

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2012年01月20日

茶室の框

床框や框は一般の住宅でも使う建築仕上げ材です。

框は和風住宅では玄関などの上がり口の意匠など使われたり、床の間でも使われる高級材。

簡単に言うと小口を隠す材料。

使用する材料も床柱などの意匠上の取り合いから、その種類は幾通りも存在する。

また、床框にも、真・行・草の要素が関わってくる。

真では、格式重んじて、桧材に黒漆塗で面取りなど。

行では、木地の透塗りや面皮を残した材など。

草では、杉磨き丸太・竹・栗・その他各種雑木など。

やはり真と草では捉え方も正反対である。

高級志向の真の床框と、物事に囚われない柔軟で謙虚な思考の草の框。

そして、やはり中間的な存在の行の床框。

とこがまち。

この一つをとっても、たくさんの意味が込められている。

それだけ、崇高な茶の世界であるのでしょう。

最近の一般住宅の床框や襖の縁にも、カシュー塗が施されている。

これは、漆の代用である。

また、欅・脂松・黒檀・紫檀・鉄刀木・花林・黒柿といったものが一般的です。

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2012年01月19日

床の間の時代の流れ

貴人とは、高貴な人、また家柄や身分がひじょうに高いといった意味を持つ。

貴人の間として茶室に設けられた畳一畳の大きさの物。

これが、茶室でいう床の間であるとされる。

床の間とは、現在の和風の住宅なら殆ど配するであろう。

床の間は時代ごとに形も用途も変わって行ったようだ。

室町の時代の、書院造では一段高くした上段の間といわれるものが有った。

こちらも、框の豪壮な床の間・火頭窓・違い棚をつけた書院で、やはり貴人への配慮がみられる。

これらの時代背景の中で床の間は変貌を遂げていった。

奥行きが狭くなってゆき、今では殆どが飾るという目的で造られている。

掛け軸や花瓶、飾る場所的なイメージが強いが床の間。

床の間の意味は元来高貴的な物でも用途は異なっていると言えよう。

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2012年01月16日

おもてなし

道安囲

道安囲の茶室

千道安が愛した茶室のスタイル。

では、道安とは?

利休の先妻の子供(長男)で豊臣秀吉に仕えた道安は、利休の血を引く唯一の子であるとされる。

また、茶人である千少庵は道安と同い年であるが、千利休の養子。

この、道安と少庵を比較するなら、動と静。

道安の茶は創造性に富んだもので強さを感じる事から、このような言われがある。

道安囲は、点前畳(お客をもてなす際に集中し心を込めてもてなす為の空間)と客畳との間を壁で分けたもの。

そこに火灯口を配し太鼓張りの襖で仕切ったもの。

創始者は不明とされるが、道安が好んだことから由来する。

お客にたいして、謙虚な心配りが感じ取れる茶室の構成である道安囲。

同様な形式で宗貞囲いとも称されるが、宗貞という人物が本当にいたかは定かではない。

お客と茶人の心通じる気持ちの表れをうかがわせる形式である。

真の持て成しとは、こういう観点からきているのでしょう。

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2012年01月15日

茶室の壁や地板を斜にしたスタイル

【すじちがいのかこい】

茶室の壁や地板を斜にしたスタイルの一部。

三角の地板や壁面は、にじり口と茶道口しかない茶室で、お運びさんの為に通りやすさを配慮したと考えられている。

有楽の好む如庵(じょあん)や京都の遼廓亭に見られる形。

如庵の詳細

如庵(じょあん)は、愛知県犬山市の有楽苑にある茶室である。

昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって現在地に移築された。

国宝指定は昭和26年(1951年)。この如庵という名称は、一説によれば庵主織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から付けられたという。

なお、有楽斎はこれより前に如庵の名を持つ茶室を大坂天満屋敷にも好んで(造って)おり、同じ有楽苑内に「元庵」の名で復元されている。『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

如庵(じょあん)の幾度の移築で現在位置に留まる。

TeaHouseWindowInuYama.jpg


Urakuen.jpg


有楽とは、織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。織田信長の実弟。

織田信秀の第11子で、通称は源五(あるいは源五郎)。有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、後世では有楽、又は有楽齋と称される。

千利休に茶を学び、利休七哲の1人にも数えられる。のちには自ら茶道有楽流を創始した。また、京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は現在、国宝に指定されている。『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

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2012年01月14日

真の座敷と行の座敷、また草の座敷を区別

真の座敷と行の座敷、また草の座敷を区別、分類する事は困難です。

それは、文化の流れや、価値観など、その人の持つ感性が含まれてくるからです。

一般的な考えでは、真の座敷は、意匠など見た目を格式高く魅せた書院風造の座敷と捉える。

四畳半に、本勝手、面取り角材、長押、付け書院、本床、飾り棚でまとった座敷。

他と比べて飾る要素が多い。

反対に行の座敷は、真の持つ格式を落とした造り。

長押を付けなかったり、これという特徴は無いが、広間に取り入れられる座敷形体である。

そして、草の座敷は、格式などに捉われない自由な空間。

利休が愛した、また好んだ草庵の意が込められていると考える。

柱は丸太、長押は無し、土壁、竹などを使った竿縁天井。

製材せずに自然の流れるがごとく・・・そんな印象が感じ取れる。

自然を意識した、さり気無い意匠。

天井形式も斜めの天井、段差のある天井が目立つ。

床框や床柱などに使用する材料は全て自然の美。

曲がっていても構わない。

書院造りの形式で真と行の座敷。

どちらにも入らないものが、草の座敷なのか?

真と行では、格式の差が見て取れる。

しかし、草の座敷には、形式や格式が見られない。

真・行の座敷と草の座敷の大きな違いはこのあたりでしょう。

これらの座敷を定義付けるものは無く、また真の真、真の行、真の草など細かく分割される。

これらの事から、やはり和人の持つ感性や価値観が左右されてくるのでしょう。

私は、そう捉えます。

奥が深い和の世界です。

和風住宅と呼ばれるものや、数奇屋風、書院風・・・

まさに風と言わざるをえないのは仕方ないのでしょうか?

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2012年01月13日

小間と広間の違い

小間とは、四畳半以下の間取り。

小座敷を指し、四畳半、長い四畳、三畳、三畳台目、二畳、二畳台目、一畳台目と大きさは、小さくなる。

広間は、四畳半以上から、十五畳くらいまでの座敷を指す。

五畳、六畳、七畳半、八畳、十一畳、十二畳・・・

書院造と数寄屋造で捉え方も違ってくる。

したがって、断定は出来ない。

ましてや、四畳半はどちらにも属する大きさ。

座敷でも広さから判断する事は出来ない。

小間と広間の違いを表せといわれたら答えはこうなるだろう。

小間は、草庵。

広間は書院。

両者の広さは、およそ決まっているが、大きな違いは、草庵の奥底にある質。

書院の持つ性質から分けて考えるべきであろう。

時代の流れで変わってゆく形態である。

しかし、本質を見極めなければ茶室や数寄屋を探るには難しい。

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2012年01月10日

囲炉裏の間

茶室の付随して設けた場所が鎖の間という。

茶を点てたりする場所であるが、本来は客に料理を膳立てする間。

現代でいう設備のある部屋といったところでしょう。

火や香などをたく炉のある部屋である。

鎖の意味は、一説では、つなぐ(クサリ状に)、部屋と部屋をつなぐ意味合いからきているとされる。

しかし、釜を吊る鎖を有する部屋。

この炉のあるところから、囲炉裏の間と言われている。

有名なところで、桂離宮書院の囲炉裏の間が適例です。

桂離宮書院の囲炉裏の間では、煙の対処に換気設備的な役目のものまで備わっているという。


鞘の間(さやのま)は、書院式の茶室に多くみられる現在の広縁的な部屋。

畳敷きの細長い形から鞘の間といわれる。

今でいう控え室のような物で、次の間とされる。

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2012年01月09日

書院造(しょいんづくり)

書院造(しょいんづくり)は、日本の室町時代中期以降の住宅形式。

書院は読んで字のごとし。

禅僧が書を読むために設けられたもの。

書院は、床板を書見のための机代わりに利用。

明かり取りに障子などを設けたものであった。

更に押板(床の間の前身)や違い棚は、書画、置物などを飾る場所として造られてきた。

今在でいう出窓でしょう。

作りつけ出窓とでも言いましょうか?

しかし、窓の高さ、バランスなど、決められた寸法があるようです。

和の建物には、決まりごとが有る。

茶室にしても言える事でしょう。

書院には、出窓タイプの付け書院と呼ばれるもの。

また、普通の窓で書院を組み込むものを平書院。

この二種に別けられる。

現在では、書院といっても、実用性より、装飾目的で取り入れられているようです。

しかし、ちゃんと利用目的があるのです。

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2012年01月07日

囲い(かこい)

かこい。

茶室より早く、出来たもの。

十八畳の大広間。

これを仕切って、茶の湯の場としたもの。

独立して設けたという意味合いも含まれている。

だから、【かこい】

茶室の別名という説もあり。

また、十八畳の1/4が四畳半。

四畳半は茶室の空間の決まりごと。

囲い・・・から始まり書院などの茶室・・・

カコイは、茶室?

茶室の別名?

囲い・数寄屋・茶室。

全ての総称が茶室なのだろう。

現時点では、【かこい】が元となっていると言われる。

これだけ、歴史が解明されている現在。

しかし、茶室・・・全てが、森林の中の様な静寂な空間。

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2012年01月06日

侘び茶

草庵・・・

山間や、田舎の簡素な建物を指す。

外観は草葺屋根。

俗塵を払い、清らかに侘び住まう庵。

言い換えると、世の煩わしい様を避けて、清くシンプルにたたずむ庵(草葺屋根の建物)

侘び・寂びを重んじる日本人の心を映し出す美的観点である。

そこから生まれる簡素静寂さ。

そして、この庵での茶湯を【侘び茶】という。

これらのスタイルを含んだものを、草庵式茶湯。

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2012年01月05日

数奇屋と茶室

数寄とは、歌道、茶の湯芸道のを好む者の道で使われた。

風雅の道でもあり、数奇または、須貴とも書かれる。

その歌道、茶の湯芸道を主とした建物を数寄屋と言われる。

また、茶室を備えた建物。

古き時代、遡る事、安土桃山時代に出てきた、数寄屋と呼ばれる茶室。

当時の茶室は、別棟に造られ、規模は畳四畳半。

構成は床の間、棚、付書院などがある。

確立された座敷や書院造りは、格式高い意味あいも含められていた。

しかし、日本の茶人はこの格式を表に出す事を嫌った。

豪華な位を示す、しきたり、意匠、飾りつけを、取り払い心の美を表現した。

そして、真の持て成しを求めたのである。

それゆえ、シンプルで、且つ美しい空間となっている。

特徴的な部分は、長押などの飾らりつけを無くし、自然があるままの素材を生かす。

陰と陽、落ち着きを重んじる、粋な茶人達の計らいから数寄屋は成り立っている。

茶室=数奇屋。

最近では、茶室や類似する和風建築を取り入れたもの。

住宅においても、数奇屋建築と称されるものも存在。

しかし、数寄屋とは、大変奥が深いもの。

今でこそ近代数寄屋たるものも存在するが、そう簡単には語れない。

立派な建築士さんでさえ理解している人は少ない。

そこで、私自身も含めて、数寄屋、茶室に迫ってみたいと思います。

茶室関連、数寄屋に関わる事に触れて行きましょ

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2012年01月04日

枡形手水鉢(ますがたちょうずばち)

枡形手水鉢(ますがたちょうずばち)


枡形手水鉢「1.jpg


枡のごとく立方体な形が特徴。
水穴は方形・円形、自由である。
オキテは台石の上が決まり。

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2012年01月02日

方星宿の手水鉢(ほうせいじゅくのちょうずばち)

方星宿の手水鉢(ほうせいじゅくのちょうずばち)

生け込み形で縦長の四角柱状の石で出来た手水鉢。
その名は、ちょうど正面に星と刻まれている事から。
縁側の前などに据える。

方星宿の手水鉢1.jpg

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2012年01月01日

釜山海の手水鉢(ふざんかいのちょうずばち)

釜山海の手水鉢(ふざんかいのちょうずばち)

如庵に現存する手水鉢。

自然の石に釜山海という文字が刻み込まれている。
これは、秀吉の家臣である加藤 清正が秀吉に贈った手水鉢とされる。
この釜山海の手水鉢は清正が朝鮮出兵の際に釜山浦から持ち帰ったもの。

釜山海の手水鉢.jpg



※加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名、肥

後熊本藩初代藩主である。

豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦し武功を挙げ肥後北部を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後熊本藩主となった。「賤ヶ岳七本槍」の一人である。
主君秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くしたことが有名。

※如庵(じょあん)は、愛知県犬山市の有楽苑にある茶室。
元和4年(1618年)に、織田信長の実弟織田有楽斎によって、京都市の建仁寺の塔頭である正伝院が再興された際、建造された茶室である。

如庵1.jpg


織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。織田信長の実弟。長益系織田家嫡流初代。

有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、後世では有楽、又は有楽斎と称される。
移設を重ね現所在地に留まる。『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2011年12月30日

布泉の手水鉢(ふせんのちょうずばち)

布泉の手水鉢(ふせんのちょうずばち)

布泉の手水鉢1.jpg


遠州の創案とされ、大徳寺弧蓬庵(だいとくじ こほうあん)に現存する。

大徳寺2.jpg


大徳寺弧蓬庵.jpg

大徳寺弧蓬庵2.jpg


形はほぼ円柱。

水穴は方形で、その脇に布と泉の二文字がそれぞれ左右に浮き彫りされている。

追記:布泉とは中国の銭の名、といっても古代のもの。

布泉1.jpg

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2011年12月27日

船形手水鉢(ふながたちょうずばち)

船形手水鉢(ふながたちょうずばち)

その名のとおり船の形をした自然石の手水鉢。
水穴は、自然に出来た石のヘコンダ部分を利用するか、人工で開けるかの二通り。

この船形手水鉢には伝説があるらしく秀吉の朝鮮出兵の機会に加藤清正が持って帰り秀吉に献上。


茶室宣庵(せんあん)2.jpg


もとは大阪城にあったものを石田三成が佐竹氏に与えた御下賜品。

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2011年12月26日

富士形手水鉢(ふじがたちょうずばち)

富士形手水鉢(ふじがたちょうずばち)

自然石が富士山の形のものを選び天辺に水穴を開けたもの。

富士形手水鉢1.jpg

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2011年12月24日

棗形手水鉢(なつめがたちょうずばち)

棗形手水鉢(なつめがたちょうずばち)

形がナツメの果実に似ている石造の手水鉢。

棗1.jpg


また薄茶器の棗形に似たもの。

円形の水穴を開ける。

棗形手水鉢1.JPG

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