2012年11月26日

釜山海の手水鉢(ふざんかいのちょうずばち)

釜山海の手水鉢(ふざんかいのちょうずばち)

如庵に現存する手水鉢。

自然の石に釜山海という文字が刻み込まれている。
これは、秀吉の家臣である加藤 清正が秀吉に贈った手水鉢とされる。
この釜山海の手水鉢は清正が朝鮮出兵の際に釜山浦から持ち帰ったもの。

釜山海の手水鉢.jpg



※加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名、肥

後熊本藩初代藩主である。

豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦し武功を挙げ肥後北部を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後熊本藩主となった。「賤ヶ岳七本槍」の一人である。
主君秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くしたことが有名。

※如庵(じょあん)は、愛知県犬山市の有楽苑にある茶室。
元和4年(1618年)に、織田信長の実弟織田有楽斎によって、京都市の建仁寺の塔頭である正伝院が再興された際、建造された茶室である。

如庵1.jpg


織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。織田信長の実弟。長益系織田家嫡流初代。

有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、後世では有楽、又は有楽斎と称される。
移設を重ね現所在地に留まる。『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2010年08月25日

草庵

草庵・・・

山間や、田舎の簡素な建物を指す。

外観は草葺屋根。

俗塵を払い、清らかに侘び住まう庵。

言い換えると、世の煩わしい様を避けて、清くシンプルにたたずむ庵(草葺屋根の建物)

侘び・寂びを重んじる日本人の心を映し出す美的観点である。

そこから生まれる簡素静寂さ。

そして、この庵での茶湯を【侘び茶】という。

これらのスタイルを含んだものを、草庵式茶湯。

また、その建物を草庵式茶屋と呼ばれた。

この庵を山間から応用し見出してきたのが、【利休】である。

ひっそりと流れる清水のごとく・・・清く正しく美しく・・・

古人たちの心の根元、また、日本人の美的センスをうかがわせる物こそ、草庵なのかもしれません。



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posted by moccu at 09:22 | Comment(0) | 復習、我が為 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

茶の道

数寄とは、歌道、茶の湯芸道のを好む者の道で使われた。

風雅の道でもあり、数奇または、須貴とも書かれる。

その歌道、茶の湯芸道を主とした建物を数寄屋と言われる。

また、茶室を備えた建物。

古き時代、遡る事、安土桃山時代に出てきた、数寄屋と呼ばれる茶室。

当時の茶室は、別棟に造られ、規模は畳四畳半。

構成は床の間、棚、付書院などがある。

確立された座敷や書院造りは、格式高い意味あいも含められていた。

しかし、日本の茶人はこの格式を表に出す事を嫌った。

豪華な位を示す、しきたり、意匠、飾りつけを、取り払い心の美を表現した。

そして、真の持て成しを求めたのである。

それゆえ、シンプルで、且つ美しい空間となっている。

特徴的な部分は、長押などの飾らりつけを無くし、自然があるままの素材を生かす。

陰と陽、落ち着きを重んじる、粋な茶人達の計らいから数寄屋は成り立っている。

茶室=数奇屋。

最近では、茶室や類似する和風建築を取り入れたもの。

住宅においても、数奇屋建築と称されるものも存在。

しかし、数寄屋とは、大変奥が深いもの。

今でこそ近代数寄屋たるものも存在するが、そう簡単には語れない。

立派な建築士さんでさえ理解している人は少ない。

そこで、私自身も含めて、数寄屋、茶室に迫ってみたいと思います。

茶室関連、数寄屋に関わる事に触れて行きましょう。

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